インドネシアは格差社会が目でも肌でも感じることができます。
それはインドネシア人に限らず、インドネシアで生活している日本人にも言えることではないでしょうか。
今日は、私の苦労話を書いてみたいと思います。
インドネシアで現地採用され給料は日本の新卒で働く友人の・・・きっと半分以下だったと思います。そんな給料だけれどインドネシアでは高給取りだと思って喜んでいる自分と、半分自分をなぐさめるために言い聞かせていた気持ちが時々思い出したかのように襲い掛かってくる日々を送っていました。
今ではそれほど恋しく思わなくなった日本食も、インドネシア着任当初は死ぬほど恋しくて恋しくて、涙が出るほど恋しくなった時期がありました。
私が着任した場所はジャカルタだったので、日本食レストランは簡単に見つけることができたし、日本人と出会う場面も多かったので色々な企業で働く方々とお付き合いさせていただく恵まれた環境でした。
ただ、出会った日本人の方々は一流企業の駐在員さんだったり、そのご家族だったり・・・出張者だったり社長さんだったり。。。円やドルでお給料をもらってらっしゃる方々がほとんどで、私のようにルピアで給料をもらっている者にとっては同じような食事を同じようなレストランでという場面は非常に苦しかったことを思い出します。
最近では、大卒でインドネシアに飛び込んでいく若者が増えてきています。
そんな若者たちからよく質問を受けます。
「最終的には日本に帰国することを考えてましたか?」
「年金や保険など、心配じゃなかったですか?」
「日本に帰ってからの再就職はどうやってやったんですか?」
このような質問に対して、私は上に書いたような自分の当時の葛藤を話した上で、今将来の不安を優先して考えることは悪いことではないし、当時の私には将来を考えずに飛び込んだ人間なので尊敬をすることを伝えます。だけど、現地で生活してみて初めて出会う出来事の方が今想像している将来の不安よりも、もっと大変だけれど自分の強みになると伝えます。日々の生活があれほど新鮮で刺激的だと思い続けた時間は、今の私には取り戻せない貴重な人生の一時間だからです。
ゆとり世代だとか、なんだとか・・・
確かに世代によって考え方や感じ方は違うと認めます。
だけど、本当にチャレンジしてみたいと心に誓ったら、将来の不安よりも「今」を大切にして見てほしい。
ただ、私は親になったことがないので親の気持ちとして語ることはできませんが・・・
教師として若者たちには是非、冒険をしてほしいと願います。